1979年〜
■ 美大時代からSound Sculptureと称してアナログシンセを使ってパフォーマンスを行っていたが、コルグの鍵盤つきシンセを購入したのでバンドをやってみたくなる。
特にロックが好きだったわけではないので、『音楽』をやるというよりバンド編成であることに意味があった。そこで周りにいた人たちに声をかけ、アルバイト先の上司M氏と蔦木真利子さんで「ア・コンセント」を結成。
原宿のビルの屋上で練習を始める。真利子さんが考えたベースラインにシンセでメロディーをつけた曲が、のちにサボテン1stに収められている「日の丸」となる。
真利子さん、3回ほどの練習後、家庭の都合で脱退。
■ ア・コンセントのテーマ曲を作曲する。リオのカーニバルの様な変なリズムで最初ドラマー・M氏の雄叫びから始まり、同じフレーズをだんだん速く演奏していき崩れていく曲だった。
■ M氏と共に新宿アシベでのグンジョーガクレヨンのライブを初めて観て興奮する。この路線でいくしかないとお互いに確認し合い、デタラメになるべく大きい音で練習したりする。
この時期にボーカルとして美術家・のぶよし氏が参加。
なぜか「鬼太郎!お前は誰だ」と叫んでいたが私がお願いしたのだった。
■ サティの『スポーツと戯れ』の中から「タンゴ」「ブランコ」や、高橋悠治「大拍地」などをレパートリーにし サックス、ギターも加わる。
突然段ボールの前座として屋根裏などでライブを行う。
1980年8月
■ 美術家・浜田剛爾氏が企画するイベントで、神奈川県民ホールギャラリーに出演する。
唯一ロックバンドとしてのパフォーマンスだった。
ドラムソロから始まり、おきまりのM氏の雄叫びからほとんど地声で歌う(マイクの電池が入っていなかった)のぶよし氏のファンキーな声とともに「ア・コンセントのテーマ曲」と「大拍地」を演奏。
ギャラリーの高い天井に響きわたる異様なサウンドは、ホールの守衛や別のフロアーの書道展のお客を驚かす。
※ 神奈川県民ギャラリーの演奏はコンセントの画像をクリック!
1981年
■ サボテンという女性バンドを結成。サボテンでア・コンセントの曲やサティの曲をやるようになったので、ネタがなくなりどんどん音楽じゃなくなってしまう。そしてコバヤシと名乗るようになるが、理由はわからない。
サボテンの前座バンドとして活動するが、メンバーは流動的で周りにいた美術作家が数人参加する。
当然、サボテンのほうが受けがよかったので、そしてロックバンドらしかったので、サボテンの活動が多くなり、コバヤシは、練習しないミーティングだけのバンドとなる。
ミーティングではお互いに壮大なコンセプトを語り合い、実際ではその90%も実現しない、もしくはまったく違うものになるというパフォーマンス性が高いバンドとなる。
この頃、音を動かす→はだかのスピーカーを振り回す、音を吸い取る→掃除機を振り回す、などをバンド演奏の中で試みたりする。
1982年7月
■ 原宿・クロコダイル『LIVE ART ALL NIGHT』に出演。各自お気に入り曲をヘッドフォンで聴きながら演奏するという『関係ないセッション』を最後に自然消滅。
2003年3月
■ 思うところあって、コバヤシ再結成を決意、『ニュートラル・ライブvol.1』を企画する。
蔦木栄一氏(タイトルも氏のアイデア)、とうじ魔とうじ氏が出演して下さり企画としては成功するが、コバヤシはあまりに多くの要素を詰め込んだため、音的には失敗する。
2003年7月
■ 栄一氏が誘ってくれ、秋葉原グットマンに出演。当初、ピアノを弾くつもりはなかったが、その一ヶ月前に母を亡くし、「あなたがピアノを弾くのだったら、コンサートを見に行くわ」と言っていた母の言葉を思い出して、ルーハリソンの「ワルツ」を弾く。
2004年2月
■ 円盤で一人コバヤシをやってみる。後で録音したテープを聴いたら、あまりのダサさにショックを受ける。次の企画も決まっていたので気を取り直し、なかったことにしてしまう。
2004年4月
■ ペンギンハウスで『ニュートラル・ライブvol.2』を企画。
この時のためのピアノ曲なぞ作曲してみる。
2004年6月
■桐生・有鄰館酒蔵 『Music on the edge. 境界線上の音楽』出演。
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